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私の発達障害診断(ASD)までの記録

発達障害について

こんにちは。

3ヶ月前、私はASD(自閉症スペクトラム)と診断されました。いわゆる、発達障害です。

子供の頃から、周囲と違うチグハグな自分というものを認識してはいたけれど、その正体が長年わからずにいました。それにやっと名前がついてはや3ヶ月。もうすぐ平成も終わるという頃になっていました。

今この国では、私と同じように大人になってから発達障害と判明する人が増えているようです。

社会で広く認知されるようになったのは良いことだと思うのですが、認知されたからといって発達障害をもつ個人の悩みが減ったわけではありません。

私自身、「悩みの正体が分かって良かった」とスッキリした反面、「一生好きな仕事はできないのかな」「他人と馴染めずに辛い」と自身の発達障害を足枷のように感じることもしばしばです。自分の中の苛立ちを両親にぶつけては暴走を繰り返したりもしています。

でも、これからもASDは私の人生の軸としてあり続けるのは事実なのです。だからこそ、幼少期からの疑念や診断後の今の気持ちまで、自分のブログで集約してみることにしました。

この記事はあくまで私の備忘録というか考えの整理であって、もちろん発達障害の方全てに当てはまる事柄では絶対にありません。「ふんふん、こういう人がいるんだな」ぐらいで見ていただけると幸いです。

幼少期から学生時代

私が生まれた頃は発達障害があまり認知されておらず、「ちょっと変な子」として生活していました。今思えば、ASDの傾向が色々ありました。

寝返りができない

1990年、名古屋市で生まれた私はごくごく普通の女の子として、

育ちませんでした。

生後間もなく、一般的な赤ちゃんが寝返りをする時期に私は全く寝返りができずにいたと母はよく話しています。体をゴロゴロするばかりで「この子はカメだねwww」と小児科の先生に笑われていたそうです。

こんな感じなので小さい頃から運動は大の苦手でした。言葉は10ヶ月で喋っても、体の成長は他の子よりダンゼン遅かったです。3歳まで缶ジュースが飲めなかったり、三輪車に乗るにも苦労していました。(運動が苦手なんてもんじゃない)

しかし、3歳児健診など、幼少期のいろんなテストはすり抜けていました。知能に問題なかったので発達障害とは誰も気づかなかったようです。

不登校から大学へ

そうこうしているうちに小学生になりました。ここから私の第一の暗黒時代の幕開けです。

一年生の担任は暴力・差別発言などなんでもありなベテラン教師でした。現在だったらニュースになって処分されるような事が平気で行われていました。しかもその教師は芸術と体育に重きを置いて私たち生徒を評価していました。運動は私の大の苦手。そんな鈍臭い私を嫌ったのか、男子にいじめられても見て見ぬ振りをされた私は途中で不登校になりました。

そして学校に復帰しようとしていた二年生になると新任の教師の元、ゆとり教育が始まります。成績よりも態度、集団行動が重んじられる風潮に私は馴染めませんでした。しかも「総合的な学習の時間」なんてものも始まってしまいます。好きな勉強に没頭したい私にとって、これは苦痛で仕方ない。しかも若い先生が統制を取れず学級自体も荒れていきます。

これ以降、大学に入学するまで私は不登校で10年間を過ごしました。

馴染めない私を救ったもの

暗黒な幼少期でも救いはありました。バイオリンとアニメです。

バイオリンを習っていた事で、手先の不器用さはある程度改善されたと思います(裁縫はいまだに苦手ですが)。バイオリンは今でも好きで習っていて、心の救いになっています。

あと、アニメです。セーラームーンからガチオタでした。大学受験でも「コードギアス反逆のルルーシュ」を欠かさず録画して見ていました。

他人と上手くいかない大学時代

高卒認定をとって、なんとか東京の大学に合格した私。そこにも第二の暗黒時代の入り口が待っていました。

専門的な勉強や授業は楽しかったのですが、人間関係の方は絶望的に苦しかったです。

コミュ障で総スカン

とある文化系サークルに入った私。強固な人間関係を求められる体育会系ではないし「ここでなら大丈夫かも」と思ったのですが、それが勘違いでした。実質的な学校生活が初めてな私は文化系にもゴリゴリの上下関係がある事を知らなかったのです。

そこでのミーティングは先輩から後輩へのトップダウン。でも、私は「ミーティング=議論の場」と思って先輩にあれこれと楯突いてしまったんです「これおかしいですよね?もっとこうした方がよくなるんじゃないですか?」的な。

当然のごとく「ぴぃこは先輩への敬意がなってない。てかあいつ不登校らしいぜ」となって先輩から総スカンを喰らいます。あと、女子トークもままならない私は部内の1年女子グループからもハブられて完全に四面楚歌となるのです。

就活が苦手

サークルも追い出されるようにして辞めた私は、数少ない友人を大切に細々と学生生活を送っていくことになりました。

しかし、人間関係は私を逃がしてくれませんでした。4年生になって人生第二の暗黒時代を決定づけるイベント「就職活動」に直面したのです。

就活なんてマルチタスクとコミュニケーションのオンパレード。私は公務員試験に舵を切ることにしました。結果的にそれも失敗しましたが。

主なストレス反応

今思えばこの頃から、ストレス反応が始まっていたんじゃないかと記憶しています。

  • 物に当たる
  • 電話で親に怒鳴る
  • 常にイライラしてる
  • 食欲不振
  • 悪夢

初めての同世代の人々との人間関係、勉強とバイトとの両立、人との軋轢、東京という街の生活のリズム。自分を取り巻く全ての物に疲弊して、逃げるように名古屋へ戻りました。

職を転々とする社会人

名古屋へ戻っても、全く上手くいきません。公務員試験には失敗するし、約1年ごとに仕事をコロコロ変える日々を送ります。経験職種はこんな感じです。

  1. 食料品の販売バイト
  2. 派遣の営業事務
  3. 技術系派遣(翻訳)
  4. エセITベンチャーのWebディレクター

今思えば、向いてなくて当たり前な仕事だったし、職場環境も異常な中を渡り歩いてきたのですが、「自分は人と違う」「周りとうまくやれない」という思いが常にあり、どこで働いても違和感しか抱けませんでした。そんな私の異物感を察知したのか、下のようなハラスメントをする人にも数多く出会いました。

【マンガ】若い女の子に説教するおじさん以上に見苦しいものはない
地獄の面談私が先日辞めた会社では月一回、直属の上司との面談がありました。のちに会社を辞める原因の一つになりました。
2年前会社で受けた謎なハラスメントのマンガです
ベンチャー企業と思ったらただのブラック企業だった話|ぴぃこ|note
ベンチャー企業と思ったらただのブラック企業だった話

いつしか、自分を出すとうまくいかない。でも自分を押し殺してもそのやり方が間違っているのか、余計に他人から悪感情を覚えられる日々を送るようになります。

もしかして発達障害?

「全ての悩みは人間関係の悩みである」と誰かが言ったように、私は人間関係で全てを無くし、無職となりました。

精神的にもかなりおかしくなっていきました。

  • 物に当たる
  • 親に怒鳴る
  • 常にイライラしてる
  • 過食に走って太る
  • 悪夢に叫んでは起きる

これは、仕事での嫌な記憶がフラッシュバックしてそれを打ち消すために出ていたものでした。

きっかけはヤフーニュース

4社を渡り歩く間、「もっと上手くやれて、仕事もできるようになれないか」とあらゆるネット記事や本を参考にして「気遣い」や職場で「仕事ができる人間」と見られる方法を実践してきましたが、全て無駄でした。

それでも、「どうして自分は上手くいかないのか答えが欲しい」そう思って調べていたある日。

ヤフーニュースで、ある高学歴の発達障害の方の記事が載っていて、興味本位でよんだのです。その方は知能が人並み以上あるにも関わらず、以下の特徴で日常生活や仕事など、人生のあらゆる場面で支障をきたしていました。その人の困りごとをざっくりまとめると、

  • 勉強は得意だが仕事ができない
  • マルチタスクが苦手
  • いわゆるコミュ障
  • 上記の理由で職を転々とする

という感じでした。

「あれ、これ、私のことじゃん」

今までの「自分はなんかおかしいな」というモヤモヤ感。もしかして発達障害なのでは?私はヤフーニュースがきっかけで心療内科を受診することに決めたのです。

いざ!心理検査

発達障害かどうかを調べるには精神科、もしくは心療内科で心理検査を受けなくてはいけません。私は最寄りの心療内科を予約し、「自分が発達障害かどうか調べたい」と伝えました。

しかし、受付のお姉さんの一言。

「検査は数ヶ月先になりますがよろしいですか?」

え?

なんと心理検査はどの病院でも大人気メニューだそう。発達障害ブームという、なんともはやな理由で予約がいっぱいでした。そりゃヤフーニュースにものりますよね。

Wais検査とは?

本当に数ヶ月待って心理検査を受けました。最初はWAIS-3、次にロールシャッハテストといった2段階で診断する形式でした。

WAIS-3ってなに?となりますが、子供の頃受けたIQテストに似た知能指数テストみたいなものと思ってください。

ロールシャッハテストは、臨床心理士さんが見せたインクを垂らした抽象画のようなものを見せられて、質問に答えるもの。

後から分かりましたが、ロールシャッハは発達障害による精神障害がないかみるものだったそう。

正式な診断

バッチリと結果が出ていました。言語性が動作性よりダントツで優位で、ASDと正式に診断されました。

小さい頃に運動が絶望的に苦手だったり、ある業務だけ極端に苦手だったのは発達障害が原因と先生もおっしゃっていました。

「苦手なことは極力避けて、頑張らないでください」とも最後に言われました。自覚はないものの、頑張りすぎてマルチタスクをしたり人に愛想よくすると精神的にパンクするそうです。

ASD診断後の生活

診断後、発達障害専門の医師のもと通院をし、薬も処方されてます。無職ではなく、アルバイトをしながら自分の障害と日々格闘しつつ付き合っています。

え?ASDって薬で治るの?

そう思った方。いいえ治りません。脳の機能が先天的に人と違うのですから、薬でどうこうできるものではありません。

薬はただ、私の症状を緩和し、発達障害によるストレスを軽減するためのものです。よく、処方薬の名前を出して「私は〇〇が効いたよ!」と言う方がいますが、それは私はしたくありません。薬の効果なんて個人差がありすぎるし、同じ障害でも医師によっても処方が全く違います。ブログで個人の薬の効能なんて書いたら、病院も行かず真に受けちゃって個人輸入してしまう人も読者にはいそうなので、そうなったら私は責任なんて取れません。なので飲んでいる薬の名前は伏せておきたいです。

言われて嬉しいこと&カチンとくること

発達障害という、比較的新しく認知された障害の当事者となった私は、世界の見方も随分と変わりました。知らないうちに、誰かの優しさに守られていることを知りました。

幸いにも、母は「小さい頃からなんとなくそうかな?と思ってた」として何も言わず私を否定せず見守ってくれていたそうです。今定職につけなくても「ゆっくり探せばいい」と言ってくれています。ハローワークの担当の方も「ぴぃこさんが発達障害でもぴぃこさんは何も変らない」とおっしゃってくれました。一緒に向いている仕事を探そうと言ってくれています。

一方で、これまでは無自覚だった世間の目や無理解に気づき、時には傷つくこともあります。そういうわけで、今までネットや現実で目撃したカチンとくる一言も参考までに集めてみました。

親のしつけが悪い

これを言う奴は少なくなってきました。が、出くわしたらパンチでOKです。

オーガニック食で治る

んなわけねーだろーーー!

ちなみに私の母は添加物などには人一倍気をつけていて、幼少期から有機野菜、添加物不使用の食材ばかり食べてきました。でも発達障害です。先天的な障害と食事は科学的に証明されてもいないのに、さも事実かのようにいう輩は詐欺師です!

発達障害だからって人を傷つけるのはモラハラ

とか言ってるお前がモラハラです。ASDにはオブラートに包むことを知らず酷いことを言う人もいますが、そんな人でも、思いを上手く言葉にできない自分に悩んでいると思います。一言に障害といっても症状は多様だと言うことをちゃんと勉強しろって感じです。

アスペだからって開き直らず努力しろ

は?車椅子の人に「歩け」と言ってるのと同じだと自覚して欲しい。

障害を個性にするために

私の主治医はよく、「発達障害も大人になったら個性の一つでしかない」と言います。が、その言葉を今は全く信じられないくらいに困難を感じています。

え?まじ?この人何言ってんの?

というくらい、人生上手くいってないです。就職も、恋愛もままならない、無事に食べてバイトして寝るだけで疲れる日常に、嫌気が差す時もあります。何言ったって障害は障害じゃんって思ってしまいます。

ASDを持つ私がそれに合った生活をするのも大切だと思い、毎日生き方を模索しています。しかし、発達障害に対する社会のあり方も変わって行って欲しいと願っています。

車椅子の人のためにエレベーターが普及してきました。目の見えない方の道しるべとして点字ブロックができました。では発達障害を持つ者にとってのエレベーターや点字ブロックとは何でしょう?

身体障害や目に見える病人には優しくなれるのに、発達障害はただの「ダメなやつ」扱いする人はまだいます。認識が広まっていないのもあるかもしれませんが、障害ある無い関係なく無理解や偏見で誰かが自分らしく暮らせず潰されてしまうことが無くなってほしい。

そのためにまず、私自身が「自分らしく」を見つけて、障害を個性と胸を張って言えるようになることが大切だと思って、ブログに書きました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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